2017年08月09日

72回目の夏

広島・長崎に72回目の暑い夏がやって来た。

去年(2016)はアメリカの現職の大統領として初めてオバマさんが被爆地広島を訪れられた歴史的な年であった。私も孫2人を連れて 初めて原爆慰霊祭に参加した。

今年は(2017)は 7月「核兵器禁止条約」が採決され 世界が大きく動いた。ただし問題なのはアメリカなど核保有国5ヶ国の会議不参加。さらに残念なのは ”唯一の戦争被爆国・日本政府が会議をリードして欲しい”と言う被爆者の願いもむなしく賛成しなかった。日本政府は今の時点では「核兵器保有国と非保有国の対立を一層深める事になると言う意味で逆効果になりかねない」とか。

このところの ますます増している北朝鮮の脅威も大問題。

今日の長崎での慰霊祭で 安倍首相はこれらの事については ふれなかった。
アメリカの核の傘の下にあると言っても 被爆国の政府なら率先して核兵器廃絶の先頭に立つべきだ。




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リハビリと治療と

退院後 1ヵ月が過ぎた。長かった入院生活からやっと抜け出した感じ。

一つはリハビリによって筋力増強と歩行・応用動作改善等を行うこと。
もう一つは 骨の補強のための注射(毎日自分で)。骨蜜度は年齢相当以上に良いのだが補強のため。

@ リハビリ初日はプログラム作成のため 歩行速度とか足の筋力 握力とか体力測定と自転車こぎ20分でおわり。明日2日目から本格的リハビリ開始。

A 毎日の注射を開始した。

良い効果が出ますように。  
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2017年07月30日

介護保険

この度 初めて介護保険のお世話になる事になった。

入院中から 介護支援専門員が退院後の介護に関する色々なアドバイスや手続きなどを事細かにやってくれていた。お蔭でお世話になる包括センターの担当者やケアマネジャーなども決めてあり こちらの希望などもあらかじめ連絡してあったので有難かった。

しかし 退院してやれやれ一休みと思っていると 早速待ってましたとばかり包括センター社会福祉士 ケアマネジャー 介護用品の業者など揃ってやって来て契約書だの支援計画書だのあれこれ。くたびれた。
息子が前もって当日の来宅を了承していたので仕方ないが・・・1日2日を争う物でもないと思うし もう一寸配慮があってもと感じた。

その後も 2度3度。丁寧と言えば丁寧だが もっと簡素化出来ないものか。
それに保険料値上げは あっさりこのようにが決まりましたと通知が来るが いざその保険を利用するとなると家族がいると色々制限があるとか こちらの希望には応えられない事が多いようだ。
来年から又利用者負担が値上がりするようだが 税負担と福祉の充実は大きな問題だと思う。

いずれにせよ 来週社会福祉士 ケアマネジャー 理学療法士と私の4人でリハビリについて相談する事になった。8月第2週から介護保険を使った私のリハビリが始まりそうだ。

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2017年07月29日

切なる願望か? (´艸`*)

数人の友達とどこへ行くのか 大きな荷物を持って電車に乗っている。
途中 何を思ったか隣の車両へ移動を始めた私。

あれ? そこには杖無しですたすたと歩いている私。いつの間にこんなに
歩けるようになったか?

昨夜久し振りの夢。




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2017年07月23日

大変ご無沙汰しました

いつの間にか7月も後1週間ばかりになりました。
すっかりご無沙汰いたしました。

実は六年前に手術した股関節が緩んできて 昨年末から痛むようになり 2月末入院3月21日手術
いたしました。6時間に及ぶ大手術でしたが 無事成功。その後もリハビリを続けて 7月6日無事退院しました。現在はまだ4本足で歩いておりますが 今後更にリハビリを続けて 杖1本で歩けるようになりたいと思っております。その他は至って元気です。

実のところ 今回の手術はこれまでと違って さすがの私も少々逡巡致しました。歳が歳ですし3年前には大動脈弁の置換手術を受けていますので 今回の大手術に耐えれれるかどうか・・
しかしこの痛みをとるには手術しか手はないという事でした。いくら先は短いとはいえ この痛みを抱て暮らすことも出来ない・・残り少ない私の時間Qurity of lifu を充実したものにするため 手術を決心しました。
 
入院中 経過等をアップするつもりでいたのですが すっかりさぼってしまい ご心配をおかけしてしまい 申し訳ございませんでした。これから ぼつぼつ復帰したいと思いますので よろしくお願いいたします。
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2017年01月12日

気が付けば・・

気が付けば 今日は1月12日。 鏡開きも終わり 15日は小正月。

遅れましたが 謹賀新年  今年もよろしくお願いいたします。





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2016年12月29日

不戦の誓い

「リメンバー・パールハーバー」と「ノーモア・ヒロシマ」に代表される不毛な応酬に終止符を。

今年のオバマ大統領の来広と安倍首相の真珠湾慰霊は戦後71年にしてようやく実現した画期的な事柄である。今回首相は慰霊後の演説で『不戦の誓い』を表明し かつて激しく戦った日米両国を同盟国として結び付けたのは「寛容の心がもたらした『和解の力』」だと訴えた。そして世界各地で紛争が絶えない今「世界中の人がパールハーバーを和解の象徴として記憶し続けてくれることを願う」とも語っている。

まことに当を得た演説だったと思う。しかし 本当にそう思っているのか? 私は彼を心底信用できない。
それは 首相は国内では「憲法改正」を第一に考え 急いでいる。特に自衛隊派兵に関する問題である。

一国の首相が世界に向って公言したことに間違いはないだろう。
首相のこれからに注目である。
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2016年12月07日

暇な検査入院

先月 約2週間ばかり検査入院をした。実は9月ごろから以前手術をした側の足が歩くと痛くなった。
その痛みの原因は何か?神経痛なのか?炎症によるものか?それぞれ薬を試してみたが効果はない。ただしCRPの値が少しばかり高い。この値は炎症とか組織破壊性病変がある場合に増加するものだそうな。

その為 検査入院となった。この間血液検査2回 股関節のX線検査およびMRI検査 そして毎日リハビリで筋トレ30分。三度の食事をして お風呂に入ること。これだけが入院中の仕事。
夜9時消灯なので 見たいテレビも見られない。1階の売店へ新聞を買いに行きたいし コーヒーも飲みに行きたいが その都度看護師さんが「お供します」と言われる。私としては一人で大丈夫と言っても「もし何かあったらいけないから 遠慮なく言ってください」といわれる。忙しいのにと思うと 遠慮せざるを得なくなる。そんなわけで 読書とタブレットで映画を見たり ラジオを聞いたり。まあ ゆっくり休養と思えば・・

検査結果は炎症のないことが確認できた。この位なら何も入院しなくてもと思うのだが・・・
しかし 以前手術をした部分のねじ?が少し緩んでいるので 歩くとき重心を掛けないように歩けと言われる。それには杖では不十分で 松場杖を使う事になる。これまた厄介なことだが 仕方がない。不自由でも自分一人で動けない事には仕方ない。こうなったら体裁なんて言っていられない。

先生は手術を考えておられるが 私は「もう勘弁してください。これから先何年生きられるか。1年かも分からないし5年かも分からない。いずれにしても先は長くないのですから 痛みさえ止めて下されば〜」と乱暴なことを言っている。今のところ痛みは収まっている。やっぱり筋肉の衰えも影響あるか?筋トレをさぼらないようにしなくては。この足は私の生まれつきの宿命だから仕方ない。足以外は至って元気。
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2016年11月28日

もう一つ びっくり

いきなり「お母さん 今度の土曜日 映画を見に行かない?」と息子。

『えっ!映画? 何の?』
何時も娘を連れて映画に行くのに どうしたのかしら?珍しいこともあるもんだとびっくり。
 
「これだよ」と言って 本を持って来た。それは”この世界の片隅に”というアニメ。
私より3歳くらい年上の主人公すずが戦時下の広島・呉を生きる日常と奇蹟の物語である。

映画は戦時の生活昭和18年から21年1月までの戦時と戦後半年の庶民の生活がだらだらと続く様子を事細かに描いたものでした。

息子と並んで映画を見るのは何年ぶりか?

若い人には理解できない事柄もあると思うが 私が生きて来たそのものの3年間の話。戦時の生活の様子が細かく主人公すずの生活を通して描かれていて”そうそう そうだったな〜 ああだったな〜”となつかしいというか感動を覚えたというか。
若い人にもぜひ見て欲しい映画だ。

何時もがらがらの館内も ほぼ満席。若い人も多かったが結構私のような年寄りも多かった。

息子が誘ってくれたわけが分かった。


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運転手さんびっくりに私もびっくり

この頃 外出する時タクシーを呼ぶことが多い。

先日朝のこと
「どちらへ?」

『綾瀬のイトーヨーカドーまでお願いします』

「イトーヨーカドーですね。お買い物ですか?」

『あ いいえ。麻雀です』 しまった! 「はい」と言えばよかった〜

「えっ? 麻雀?」と言うなり 激しくせき込んでしまった。

『大丈夫ですか?』

「あ〜 びっくりしました!」

このところ足を痛めて 外出時には松葉杖を使っている。
どうやら「そんな状態なのにこの婆さん朝から麻雀とはと」びっくりしたらしい。
こっちこそ びっくりしたわ。そんなにびっくりすることかしら。

『麻雀教室よ。頭の体操』

そうこうする中にイトーヨーカドーについた。

「いってらっしゃい。がんばって来て下さい」

『ありがとうございます。今日は勝ってくるわ。ふふふ』






 
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2016年11月07日

来年は無理でしょう

昨日は年に1回の巴峡会(高校同窓会)。私達三婆は揃って出席することが出来たことを喜んだが お互いによたよた。見る影もない。去年はもっとしっかりしていたと思うが これも一年の歳月の成せる技か?

旧制中学の面々は早や一人もいなくなり 旧制女学校の私達三婆が最長老で 後は新制高校卒の方々ばかり。会場正面に掲げてある女学校の校旗はいつまで掲げられるか?

皆さんに「お元気で。又来年お会いしましょう」と言っていただいた。私もそう願うけど???  
posted by 大ママ at 12:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 颯湖と蓮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月04日

よくご存じで〜

「お試しのロボットクリーナーの具合はいかがでしたか?」

(そうね。あらかじめ上手に片付けておく必要があるけど 丁寧に掃除してくれて便利ね。
毎日ダストボックスにいっぱいの埃が出るのにはびっくりね。でもね ハウスダスト発見センサーがゴミを見つけたら吸入力と走行を調整すると言うんだけど 見ていると”あそこにゴミがあるんだけど”と思っても何故かそこは素通り。つい”もう一寸右側にゴミがあるよ”なんて言っても知らん顔。AIが搭載してあればいいのにね。)

「AIてなんですか。」

(あ〜 今色々なロボなどに使われてる人工知能よ)

「あ そうなんですか? よくご存じで。」

まぁ〜 馬鹿にしないでよ! 若いのにあなたこそ ご存じないの? と思ったが グッと飲み込んだ。 

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2016年10月14日

そうなのかな〜

「さっちゃん この頃 中高生の重大な暴行事件が多いわね。しかも悪質」

(そうね〜)

「徹底的にやっつけておいて 殺す積もりはなかったなんて。
昔は喧嘩して相手をやっつけても 頃合いを見てストップしたものだけど。
今の子たちは死ぬまでやっつける。ドラマやゲームの影響で死んでもすぐ生き返ると思っているでしょ。
昔は皆自宅で死を迎えたため 人の死に至る経過を目の当たりに見て学習をすることが出来た。しかし現在は殆どが病院で死を迎えて 死の実態を目にすることが少ない、
だから 死んでも又生き返って来るものなんだと思っているんでしょうね」

(いや そうじゃないよ。死なないと思っているんだよ)

「えっ!そうなの? どうして? そうなのかな〜?」
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2016年10月03日

我が家にロボットがやって来た

この夏 広島の妹の家へ行った時 さっちゃんがお掃除ロボを見つけて 早速動かしていた。
「大ママ 家にもこれ買おうよ」。「そうね。あなたのように なんでもかんでも床の上に転がしているような部屋には向かないわね。お掃除してもらうには 先ずそれを片ずけなきゃロボは使えないよ」

この度 日頃お掃除用具をレンタルしている会社が お掃除ロボを2週間お試しで貸し出すというので 使ってみることにした。「早速お掃除開始」どんなお掃除の仕方をするか ついて回った。もう少しあの先をと思ってもロボは知らん顔。マイペースで黙々とやっている。動き方にルールがあるのか?しばらく付き合ってみよう。

友達が「明日 ヘルパーさんがくるから 机の回りなどかたずておかなくっちゃ〜」と言うのを聞いて 私は「ヘルパーさんにやってもらえばいいのに」と言ったが 「ヘルパーさんは私の思うようには掃除してくれない。片付けておけば 空いたところを掃除してくれるから」と言った。
そうなんだ。ロボでもヘルパーさんでも一応 掃除しやすいようにかたずけておくことが大事なんだという事が分かった。

ロボのおためし期間は2週間 上手に使うにはどうすればいいかをよく考えよう。

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2016年09月26日

孫と一緒に(4日目)

8月6日 市原爆死没者慰霊式・平和記念式典に参加。被爆の実相を見せたいと思ったから。

朝6時半 式典の行われる平和記念公園へ行く。朝早いと言うのに 会場周辺にはすでに大勢の人が集まりピンと張り詰めた空気が漂っていた。被爆者や死没者の家族を始め 中学生や高校生のグループ ボーイスカウトやお坊さん達のグループなどが開場を待っている。しばらくして テント下の椅子席に誘導が始まる。Y妹が孫二人を連れて座席についた。私とR妹の年寄り組は 会場のすぐ隣にある国際会議場の冷房の効いた講堂で式典の同時実況放送をすると言うので そちらで参加することに。

待つこと1時間半 政府関係者 91ヵ国の海外代表らも参列しで午前8時開式し 松井市長と2人の遺族代表がこの一年に亡くなったことが確認された5511人の名前を書き記した広島の原爆死没者名簿を原爆慰霊碑に納めた。名簿は111冊計30万3195人分になったという。。原爆投下時刻の8時15分 遺族代表 子供代表が「平和の鐘」を突き 参加者全員で黙とう。犠牲者を追悼した。
松井市長は平和宣言で オバマ米大統領の演説から「核を保有する国々は恐怖の論理から逃れ 核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければならない」との訴えを紹介。被爆者の叫びを受け止め核兵器廃絶に立ち向かう情熱の表れだとし 共に行動する時だと強調した。各国のリーダーには被爆地訪問を要請するともに 安倍首相には指導力の発揮を期待した。さらに「核なき世界」は憲法の基本原理である平和主義を体現していると指摘。実現へは核兵器禁止の法的枠組みをつくることが「不可欠」と踏み込んだ。

式典に参加した孫たちは 殆ど喋らず 式典の一字一句も聞き逃すまいと熱心に耳を傾けていた。平和の大切さが良く分かったとも言っていたと 同席したY妹の話。
今回の広島訪問は 彼女たちにとっていい経験になったと思う。この式典で感じた事 原爆資料館で見た非人道的な原爆の実相から 命の尊さ 平和への願いを伝えて行って欲しいと私は思った。

お土産にもみじ饅頭を買って 帰途についた。  (一部 8月6日 中国新聞 特報の記事引用)


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2016年09月08日

孫と一緒に(3日目 三次)

この日は 墓参り 実家・親戚訪問 市内見学する。

@ 実家の墓参り F家の墓は市内覚善寺にある。
墓地中央に私の祖父母 父母 弟が眠っている。その脇には7、8基の古い祖先の墓が並んでいる。孫たちはせっせと水を汲んできて墓石に注ぐ。みんなで花を活け 線香を先行立てお参りする。「お父さん お母さん 孫たちが来ましたよ」。
それからは歴史の勉強?。墓石を見ながら 天保って嘉永の前?後?安政は? 慶応 明治 大正は確かよね・・文政は。いずれにしても 江戸末期辺りからのものであることは確か。いつも行く度に記録して帰りきちんと整理しようと思いながら つい そのまま帰ってしまう。

A 墓参り済ませ 私達の実家へ。弟はすでに他界。現在 弟の嫁と三女の家族が住んでいる。姪の子供たちも大きくなった。しばし歓談。父母も弟もいない実家は 行っても寂しい。長居は無用。

B 鳳源寺へ。三次浅野家の菩提寺。浅野内匠頭の奥方「あぐり姫」は三次浅野家からお輿入れされており ここにはあぐり姫のお墓や木彫りの四十七士像と浅野内匠頭とあぐり姫像を収めた義士堂などがあり庭には大石内蔵助手植え?という枝垂桜があり 幹は洞になっているが 100年たった今も春になると美しい花を咲かせている。その寺の前が 古くからの三次の桜の名所尾関山があり 近郷から大勢の人が花見に訪れたものだ。桜が終れば 桜並木の下ではボタンが咲き 山はつつじで彩られる。秋になれば紅葉が美しい。その麓には私の妹が嫁いでいる三次のF家のお祖父さんの顕彰碑が建っている。町の発展の為に大いに尽くされた方である。

C 最後に市内のF家(妹の嫁ぎ先)へ。丁度妹の娘一家がパリから来ていて 久し振りに会えて良かった。その家族はフランス人の夫と姪 娘10歳? 息子5歳の4人。そこへ今回私達東京組4名 広島妹夫婦が参入。F家夫婦2名の総勢12名で大賑やか。子供たちは直ぐ打ち解けて 折り紙をしたり お土産に持って行ったお手玉やけん玉で遊ぶ。大人たちはビールを飲みながら話に花が咲く。姪は相変わらず早口で フランスと日本の教育について まくしたてる。夫のOに「日本語上達した?」と聞くと「少しだけ」と言う返事。
娘一家が来てくれて 体調を崩している妹もさぞかし嬉しかったろう 義弟も老老介護の中 しばし ほっと気が休まったのではないかと思う。
明日は早起きして「原爆記念式典」に参加の予定なので 早めに失礼することに。

三次も「風土記の丘」とか「奥田玄宗。小由女美術館」とかその他連れて行きたいところがあったが 時間が無く行けなかった。孫たちをあちこち引っ張りまわした格好になったが 一応私の生まれ故郷を紹介したかったし親戚とも顔合わせ出来たし あとは仲良くやってねと思う。この日も暑かった。
posted by 大ママ at 18:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月23日

孫と一緒に (2日目 U)

夜は広島県無形民族文化財指定の「三次の鵜飼」遊覧。

私が子供の頃は実家が川の直ぐ近くにあるため 夜9時ごろになると数隻の鵜舟が煌々と松明をたきながら鵜を操り 鮎を採リながら川を下っていく。それを毎晩のように 夕涼みがてら近所の大人も子供も橋の上から眺めたものだ。

実家の隣が鮎の共同販売所で(我が家の玄関わきの土間も一部貸していた)前夜鵜が採った鮎や漁師が網で採った鮎をもってくる。朝早くから漁師たちの大きな威勢のいい声に起こされて 夏休みでも朝寝坊は出来なかった。

ここで一寸「三次の鵜飼」の歴史を(三次観光協会のパンフレットより抜粋)。
鵜飼は水にもぐって魚を捕る鵜の習性を利用した古代からの漁法で古事記や日本書紀・万葉集にも見ることが出来る。三次では戦国時代の末期 永禄年間(1558〜1569)毛利氏に敗れた尼子氏の落武者が川岸や水中を歩き 1〜2羽の鵜を操って鮎を採った「徒鵜(かちう)が始まりと言われている。その後寛永年間(1624〜1643}に参勤交代の折 岐阜長良川の鵜飼を見た初代三次藩主浅野長治により鵜匠制度が確立されて始まったと言われており 観光鵜飼は大正時代に始まった。450年の伝統を誇る優雅な歴史絵巻は夏の夜の優雅な歴史絵巻は夏の夜の抒情を醸し出すことでしょう。

夜7時30分乗船。子供たちは早速お弁当を開く。大人はまずビールをの飲みながら出発を待つ。川面を渡る風が心地よい。今夜は4隻の鵜舟に4隻の遊覧船。夜のとばりが川面に降りる頃 いよいよ遊覧船出船。続いて鵜舟も。煌々と水面を照らす灯り(昔はたいまつ 今はLED)烏帽子に腰みの姿の鵜匠が手縄の先につないだ8羽の鵜を一度にさばく。水面が照らされると魚があつまる。それを鵜匠の巧みな手さばきで鵜を導き鮎を採らせる。船頭は2人いて(前船頭は棹 後船頭は櫓)鮎を採りやすいように船を操る。その3者の呼吸がぴったり合わなければならない。そのあたりを見るのも面白い。周遊方式と言って鵜舟と遊覧船が並走するため 鵜飼を間近で楽しめて楽しい。目の前で鵜が潜る。鵜匠が取って来た魚を吐き出させるのが見える。船は馬洗川と西城川の合流地点から下り 巴橋をくぐって少し下流まで ゆったりと進んで折り返す。この先でもう1本可愛川と合流して江の川となり中国山脈を突き抜けて日本海へそそぐ川である。従って三次盆地で3本の川が巴となっている。余談だが我が母校の校歌に「足引きの山うるわしく 巴なす流れも清き・・」とある。私の愛して止まない川。私を育ててくれた川。その川で妹達や孫たちと伝統の鵜飼を見ることの幸せをつくづく感じた一時だった。孫たちも珍しい体験に 身を乗り出して鵜飼を満喫したようだった。鮎の塩焼きも食べたし(一寸小さかったけど)。8時30分遊覧船着船。鵜の採った魚が展示された。鮎も大小色々採れていたが 4艘出た割には少ない。近年数が減っているという。鮎以外の魚の中にブルーギルが2-3匹採れていたのには驚いた。ブルーギルは外来種で凄い繁殖力を持つ魚。北九州にいるころ近くの池で入れ食いの状態で採ったことがあるが 山紫水明なこの三次の地まで来たかとショック 少々悲しかった。さっちゃんはY叔母さんと鵜匠さんと記念撮影した。
これで 盛り沢山の1日は終了。蓮ちゃん「疲れたけど楽しかった」。「私も疲れたわ」。












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2016年08月17日

孫と一緒に(2日目 T)

8月4日(木) 蓮ちゃんの希望により出雲大社へ
8:30分 東京組4名と広島Y夫妻の6名 車2台で出発。先程中国やまなみ街道が貫通したので便利になった。
私は久し振りの出雲大社。出雲大社の境内は広く 拝殿までが長いながい。二の鳥居 三の鳥居 四の鳥居と松の参道が続く。暑いあつ〜い。孫たちはとっとと先へ。元気を出して拝殿にたどりつく。
説明によると 「出雲大社」は昭和25年5月に「本殿遷宮祭」が厳かに行われ 縁結びの神様オオクニヌシノミコトがご本殿にお帰りになりました。遷宮は平成28年3月まで続き云々」
そういえば去年だったか?高円宮家から輿入れされたが そのお住まいはどこなんだろう?

「みんなに良いご縁がありますように」お参りを済ませ昼食。出雲そばを食べる。蓮ちゃんたちは「ぜんざい」も。「出雲ぜんざい」は出雲地方の「神在(じんざい)餅」に起因しているそうだ。出雲地方では旧暦の10月に全国から神々が集まり この時出雲では「神在祭」と呼ばれる神事が執り行われる。その時に振る舞われたのが神在餅である。その「じんざい」が出雲弁(ズーズー弁)でなまって「ずんざい」。更には「ぜんざい」となって京都に伝わったとか。なかのお餅がぷうーと膨らんでいて独特。食べたかったな〜。
蓮ちゃんは「勾玉」を買った。
帰途 近くの出雲日御碕灯台(ひのみさき)へ寄り 帰途につく。
今夜は三次ロイヤルホテル。
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2016年08月15日

孫と一緒に(1日目)

この夏を逃したら もうチャンスは無いのではないかと言う想いが私にはあった。
それは私の故郷広島県の三次と71年前に地球上で初めて原爆の惨禍を蒙った広島の実相を孫たち(中1と高1)に見せておきたいという強い気持ちがあった。

8月3日 孫2人とR妹と私の4人は お昼過ぎ新幹で広島に到着。駅にはY妹が出迎えてくれた。
外に出ると広島独特のむっとした暑さ。71年前のあの日もこうであったろう等思いながら平和記念公園へ。公園ではすでに来る6日の原爆死没者慰霊式・平和祈念式典の準備がほぼ出来ていた。
原爆資料館見学。中・高生のグループ 外国人 一般の人など見学者も多い。資料館はリニューアルされており 心なしか 大変残酷な光景の展示は少なくなっているような気がした。孫たちは熱心に見ていた。時々遠慮がちに説明すると うんうんとうなずいていた。外国人たちも 真剣なまなざしで覗き込んいた。
私は 色々見ている中に 実際71年前被爆者救護に市内に入り この目で見た被爆者の有様が思い出されてきた。傍にいた孫が「大ママもあんな風に救護に行ったのよね」くしくも 高1の孫と同じ年齢だった。

展示室を出たところに 今年5月に現職の米大統領オバマ氏の平和を祈っておったという「折り鶴」とメッセージが展示してあった。
「私自身の國と同様 核を保有する国々は 恐怖の論理から逃れ 核兵器のない世界を追及する勇気を持たねばならない」と訴えていました。

その後慰霊碑 原爆ドームを見学した。帰りは孫たちのかねてからの「お好み村」で「広島風お好み焼き」をごちそうになり大満足だった。
夜は Y妹の夫のお父さんの遺品の焼けた懐中時計とベルトのない腕時計 爆風によって出来た箪笥のきずなどを見せてもらい さらに原爆の恐ろしさを実感したようだった。

「百聞は一見に如かず」。被爆地広島に来て 改めて被爆の実相に触れることの大切さをつくづく感じた。 
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2016年07月26日

痛っ!!

あれから 2,3日った朝起きた時 急にお尻の上のあたり 両側の筋肉が痛っ!!
何でだろう? 冷房で冷えたか? それにしても左右対称の痛みは何だろう?
お風呂にはいって温めたら少しは良くなった。

あ!先週のあれだ!乗車の時床にへたばってしまい 運転手さんの手を借りてありったけの力で踏ん張ってようやく立ち上がった。それで この筋肉痛が。
歳とると 疲れや筋肉痛は直ぐには出ず 2,3日経ってから出るというから。

やれやれ 気を付けなければ。その後約10日経過。痛みも大方とれた。
posted by 大ママ at 14:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする